保健所犬猫応援団の始まりと、東京電力原発事故。

日頃のご支援、応援心より感謝申し上げます。
今日は、保健所犬猫応援団の始まりとA-portクラウドファンディングにご参加させていただいた経緯について記載させていただきます。
保健所犬猫応援団は、フェイスブックを通し、全国の犬猫を大切に想う皆さんとの繋がりから2011年6月29日に開始させていただきました。
2011年に東日本大震災は、多くの人命が奪われ、建物の崩壊、未曽有の大災害が私たちの街を襲いました。その規模は東北のみならず、関東やその他、多くの街や県に及び、全国規模の大災害であったことに間違いないと思います。
当時、一般住宅建築会社を退社したばかりでしたので、直ぐに、前会社に向い、お客様の被害状況の確認と救援の為に、状況を目視して廻りました。お客様宅は辛うじて無事でも、周辺建物の崩壊、道の崩落、地面の亀裂など被害の凄まじさを目の当たりにしました。たまたま、津波被害のあった浜通りで、別の仕事をしていた兄も、海岸沿いからの非難、渋滞に巻き込まれ、車をいち早く放棄し車から降りて、周辺の運転車に声をかけながら高台に登り、難を逃れたとの事です。自車はもとより、周辺の車は津波にのみこまれ、中には声掛けに応じず、車内に留まり、残念ですが車と共に流された方も…。その後も大きな地震も続きましたが、私にとっては、東京電力原発事故が大きな禍をもたらしました。一般住宅の会社を退社し、震災直前の2月に自社をスタート、小さな事務所の建築を進めつつ、営業面でも予約をいただくなりの準備をしていたところです。
一般住宅の前職から、一般の方の庭に作る「小さな家」の専門会社。それは、私の一人で家を造り上げる技術を、前職で営業として歳を重ねてしまい、年齢と目的を考えて小規模建築専門店としての独立でした。それが、原発事故により大きな裏目に。放射能で汚染されてしまった地域の庭、そして、除染が始まっても、その汚染土は各自家庭に庭に埋設保管…。正に仕事場を原発事故により奪われてしまいました。決まっていたお客様も保留や、図面を作成し打ち合わせを重ねたお客様でも、理解は出来ますが、一方的に無かった事にする方もいました。その除染が済んで、残土が撤去されるまでは、どうにもならない…実に5年以上の歳月がかかりました。
その間、補償も賠償も、単に震災前年に営業していなかったという理不尽な理由で対象にならず、全く原発事故の影響がない業種が、営業補償がされる中、会社経営は最悪の状況、かろうじて、被害の少なかった地域(除染の必要が無い)のお客様からの依頼、片道2時間弱の地域の仕事…様々なコスト、身体的な負担が、通常に無い形の中での仕事を強いられました。あくまで辛うじて、商圏では無い為に、継続性も無く、常に不安定な状態。そして、小規模建築を一般住宅に変えての遠距離の仕事は、肉体的疲労(一人で住宅を建てるという事は、家を一人運ぶ事と略同じです)も蓄積し、現場での不慮の転落を招き、国の労働保険は支払っていてはいても経営者には下りない、一人現場を進めていたこともあり、危険部位の3か月の重傷は担当医に「少しでも何か有ったら死にますよ」と言われながら1週間で無理繰り退院しました。
せめて、他社並みに補償をと、再三、市や県、国、東京電力に訴えましたが、最後は前年営業していないからとの理不尽な理由で終り、何度も心が折れました。資金的には頼みの綱の日本政策銀行に最後は「地力の無い企業は潰れてしかるべき…」と言われ、この経験は、すっかり、私の人格すら変わってしまったようにも思います。
そんな中で、震災直後の自宅待機(原発事故により県から自宅避難が一週間程)の時から、特に犬猫の災害地へのフード支援のご連絡をいただいた中で、日本での殺処分の現状に触れ、自分にもできることをしなくてはと、フェイスブック上にて、SNSの可能性を信じ、保健所犬猫応援団を立ち上げました。
「原発事故で窮地に陥り、死を考えるほどに困窮しました。しかし、人は自分で道を開く可能性はどこかに必ず残されています。しかし、犬猫は保健所に収容されてしまえば、新たな飼い主が現れない限り、その命は、どんなに泣き叫んでも奪われてしまいます」
私は、家族を守る為にも必死に道を歩み続けました。同時に犬猫たちの唯一の希望、「新たな飼い主」へ繋ぐ応援を、同じく必死に、拙い文章でSNSの力を借り、出来る応援を続けました。「いつか必ず、殺処分の無い日本を実現し、犬猫たちが、冷たい檻の中で、声なき声を発する必要の無い日本を実現する。」それは、私の大きな励みになりました。
しかし、あまりに微力でそんな事、実現出来るはず無いという思いは確かにあります。でも、真実を伝え、大切な命を尊ぶ方々に繋がれば、きっと無くせる…。活動を続けて参りました。
そんな時、A-portさんから、クラウドファンディングへの参加のご連絡をいただきました。当初、基本的に保健所犬猫応援団は、告知啓蒙により日本の殺処分を無くす方向性でしたから、直ぐに検討することもありませんでしたが、確かに保健所からの選択肢を進めても、必ず、譲渡に適さない傷病犬猫や、老犬猫は存在し、殺処分が続く可能性は否めません。その点でも、A-portさんからのご連絡は、一筋の光明でもありました。そして、何より朝日新聞という大きなメディアで、「保健所からの選択肢」の記事を掲載してもらえるという、願っても無いお話でも有ったのですが…その時点で、私自身、原発事故被害の大きな重みの中で、犬猫を保護するという大切な命に携わる事が出来る経済的な立場でも当然ありませんでした。お声掛けだけありがたくとは思っていました。しかし、もしも、新聞掲載「保健所からの選択肢」命を繋ぐ選択が出来てない日本の実情が、紙面に載ることで、どれだけの数の犬猫の命が繋がるのだろうか!簡単にあきらめる事はもちろん出来ませんでした。
政権が代わり、数年後、原発事故賠償の大きな壁が、取り外されました。前年営業の理不尽な壁が無くなりました(コロナ過では、飲食店の補償が開店時期に関わらず、補償されていますが、原発事故時賠償の開業時期は大きな壁でした)
補償のテーブルに着くことが出来ました!請求額は、大きく減額されましたが、それでも東京電力は賠償に応じてくれ、当然ですが素直に有り難かったです。ただ、自社の問題は、高い金利での借り入れなど10年に渡る資金繰りで、賠償金で補えたのは、高い金利分の返済が通常金利として返せる借入に変わったくらいですが、それでも、局面を脱することが出来ました。
そして、家族、三人の子供たちも義務教育、そして高校卒業を迎え、そして何より、この窮地の期間を支えてくれた愛犬、保健所犬ジャックが息を引き取った事で、犬猫たちへの恩返しを含め、先のA-portさんの犬猫共生施設の実現を前提としたお話を引き受けるに至りました。
拙い文章ではございましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございます。

保健所犬猫応援団

保健所からの選択肢 あらたに犬猫を飼い始める方のたった10人に1人が選択するだけで日本の無情な殺処分は無くすことが出来ます。それは、伝えること、知ることで可能になる誰もが無理なく出来る応援が実現の鍵です。一人でも多くの方のご参加をお待ちしております。 詳しくはメインHPにてご確認下さい。 ※保健所犬猫応援団は、殺処分ゼロを願い告知啓蒙の活動する愛護活動です。 犬猫の保護団体ではございません。

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